あかべえの新作「
光輪の町、ラベンダーの少女」の体験版をプレイしました。結論から述べると、それなりの期待はできあそうです。以下体験版と「車輪」のネタバレを含みます。
「光ラ」はるーすぼーいの作品「車輪の国、向日葵の少女」の続編、あるいは姉妹作に当たる作品だそうです。シナリオはるーすぼーいが太鼓判を押しているらしい渋谷ハヤトという未知のライターですが、ある著名作家の別名義というのが定説になっているらしいです。渋谷ハヤトがだれなのか、というのはわかりませんが文章は安心して読めるレベルだと思われます。
公式サイトでは「あの感動をもう一度」という謳い文句があり、「車輪」の関連作であるという点が強調されています。自分は「車輪」がヒューマンドラマだとは思っていないので、「あの感動」を引き合いにだされてもどうかな?という印象ですが、簡単に「車輪」と「光ラ」との比較をしてみます。
両作品の類似点
「光ラ」体験版で最大の謎はマコトの存在だと思います。このあたりの記述はライターが意図的にるーすぼーいの作風を真似ているのだという印象を受けました。「光ラ」も「車輪」同様の大きな仕掛けが用意されていると予想されますので、るーすぼーいのトリックが好きな人が楽しめるように設計されているのでしょう。
両作品の相違点、とやっぱり共通点
「車輪」は個人が社会の歯車として効率的に役割を果たすことを共用される世界を主に刑罰のシステムを通して描き、社会システムに対する風刺的な色合いが強い作品でした。今作も同じ世界(?)とのことですが、視線は学園、つまり教育システムに向けられているという印象を受けました。
他の多くのえろげも学園が舞台となっていますが、基本的にはえろげのための舞台、ユートピアをセッティングする以上の意味合いは含まれません。「車輪」も学園モノではありましたが、その視点は刑罰システム・政治システムに向けられており、学園という舞台自体は大きな意味を持っていませんでした。
「光ラ」は体験版の段階では特別高等人や刑罰システムに関する記述は見受けられません。けれども社会が個人に対して効率化・没個性を強いる世界という点は同じです。その構図がが学園という仕組みに集中されており、教育システムのあり方に対する風刺であると感じられました。体験版でありながら学園で起こりうる問題や学園システムのあり方を問う問題が立て続けに起こります。ラベリング(教師や周囲が先入観からレッテルを張る事にる影響)など、教育心理学的問題も出てきます。これらの視点は決して斬新なものではありませんが、えろげとして真正面から扱うというスタンスは珍しいと思われます。通常はえろげの「学園」にはリアリティーは求められませんので。割と生々しい話になるとおもうので、現実逃避でえろげにユートピアを求めている人にはあまり向かないかもしれません。
しかしながら学園における問題、というのは中盤までにはあらかた解決されると考えられますので、最終的に芯に残るテーマとしては「車輪」と似た方向性でヒューマンドラマになる、だから「あの感動をもう一度」という話になるのではないかと思いました。「車輪」も社会システムはあくまで題材であり、主題はヒューマンドラマであるという捉え方が前提となりますが。
以下の単語でぐぐったわたくしは負け組みですか?そうですねw
亀田みゆき
ヘンリー・ピーターソン
魔法少女ミルティーchan
タイニー・アンドロニックス